釣りの未来を考える
この項目に関しては私感が強く入り込んできてますので、賛否あるかもしれません。
ねぎはこう思ってるっていう程度で読んでいただけると幸いです。
そもそも、なんでブログやらを作って、記事を書いて、情報を発信しようとしているのか、ということなんですが、事の根幹には「釣りが好き」というのがあるんです。
この釣りという活動を楽しめる環境が縮小されたり無くなったりすると、個人的にとても困ってしまうのです。
偉そうにいろいろと述べてきましたが、結局最終的には「自分が釣りが出来ればいい」というところに帰結します。
そのために、釣りが出来る環境を危ぶめている輩には退場頂きたいというのが本音ですし、もしそういう輩が釣りをしたいと願うのであれば、釣りの未来のために、今の自分たちの言動を改めろよ、って思うのです。
話は少し変わりますが、「釣り業界」ってとても閉鎖的だと思っています。
2016年9月、山形県において、【ブラックバス放流禁止に関する条例についてのパブリックコメント】の募集がありました。
この件については他の方も触れていると思いますので詳記はしませんが、本件に関しては行政側が釣り人の意見を聞こうと事前に意見聴取がなされていたと聞きます。
これは現代の行政を見るに、非常に寛大な措置が取られたと思って良いかと思います。
そういった背景があったうえで、それでも展開された放流禁止措置に向けた動き。
こういった大きな流れというものは、一旦動き出すと食い止めるのは至難の業です。
パブリックコメントに意見を投じ、バサーの意見を届けよう!といった動きを批判するわけではありませんし、そういった活動も必要かとは思いますが、個人的な意見を言わせてもらえれば、「時既に遅し」です。
こういった動きが生じる原因となってしまった自分たちの言動や態度は改められたのでしょうか?
一昔前、全盛を築いたブラックバスブームに衝撃が走りました。
2002年10月、滋賀県において【滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例】が施行され、湖面のレジャー利用によるブラックバスやブルーギルの再放流が禁止されました。
続き、2005年の6月には、環境省によりブラックバスが特定外来生物に指定され、法律下において【害魚】の烙印を押されたのです。
ブラックバスブームを生み出し、多くのバサーが生じましたが、きちんとしたルールなどが提示されなかったことや、マナーという意識の欠如した輩が押し寄せたことで、迷惑行為や環境問題など、多大な地域への不利益を生じさせました。
ファッション感覚でブラックバス釣りに臨んでいたものの多くは釣りを辞めてしまいましたが、そこに住む地域の方々は「釣りをするやつはマナーの出来ない迷惑者」という悪い印象を強く抱いたに違いありません。
先にも軽く触れていますが、集団心理というものは恐ろしく、1人では出来なかったことが、10人になると急激に態度が大きくなったり、悪いことを平気でやらかすようになります。
琵琶湖での再放流禁止や外来生物法に関する動きが生じた際にも、今回と同様にパブリックコメントが募集され、多くのバサーが意見を投じましたが、その意見は届くことなく、リリース禁止へと至りました。
今回の山形県の件も然り、この琵琶湖などで起こったブラックバスに関する歴史を、少しでも釣り業界に関わる者たちが、振り返り、反省し、啓発し、意見を広め、態度を改めることをしていなかった、してこなかったことの結果であります。
また少し話を変えて。
別項でも述べましたが、釣りという活動は細分化し、さまざまな釣り方などが混在するなかで、例えばヘラ師とバサーが、また餌師とルアーマンが対立したりといった、広い意味での釣りという活動内での「内輪もめ」が生じています。
が、相互に釣り人であることに変わりはなく、さらに広い視点で見れば、それらは全て「釣りをしている人たち」という観点となります。
非釣り人から見れば、どちらも釣りをしている人であり、どっちがどうだとかどうでも良いことなのです。
我々は「釣りをする人間」ですので、どうしても視点が「釣り人」になりがちですが、釣りをしない人たちから「釣り人」がどのように見えていて、どのようなイメージを持たれているか、ということを考えなければなりません。
どんなに多くの釣り人が態度を改めたところで、散歩先の水辺にガラの悪い釣竿を持った輩がゲラゲラと悪態をついていたり、仕事場である漁港に釣り人がゴミをまき散らしていたり、こういった姿が少しでも見られれば「釣り人って感じ悪い」という印象をつくります。
釣り業界に携わる者の多くは、こういった非釣り人の意見や心情などを知ろうとしなかったり、知っていてもそれに対応したり、広めたりといった活動が極度に少ない印象を受けます。
なぜか?釣り業界の人間は、「釣り人」を相手に商売をしているからです。
特に釣り具メーカーなんかはその傾向が顕著で、多くのプロスタッフ(メディアアングラー)を抱えながら釣り具の販売促進(宣伝)に躍起になっていますが、釣り具の宣伝をすることはあっても、その釣りをする環境がどういった状況に置かれているかといったことを積極的に発信しているようには見えず、また環境保全のための活動を大々的に発信しません。
プロスタッフは、メーカーのサポートを受けている以上、商品を売ることが役割であるが故に、釣りをすることで自然環境を悪い方向へと動かしてしまうことを無視していたり、認知していても積極的に発信しにくいというのが実情だと思います。
たばこがそうであったように、社会にとって利益より害悪(健康被害、吸い殻のポイ捨てなど)が勝ると判断された事項に対しては、風当たりは非常に厳しいものとなり、また、その対応速度は一昔前のそれとは異なり、かなりの速さで社会に浸透していきます。
ほんの十数年前は、職場でも病院でも、食堂でも空港でも、普通にたばこは吸われていましたし、それが普通だと皆が思っていたので、誰も異を唱える人は居ませんでした。
が、一旦社会情勢が傾くと、物凄い速さで嫌煙活動は広まり、喫煙者の肩身は非常に狭いものとなりました。
釣り業界にも同じ波が来ます。
釣り業界は狭く、多数のメーカーが釣り人(お客さん)の奪い合いをしていますが、そんなことをしている場合ではないのです。
裾野を広げて、新規の顧客を生み出していかなければ釣り業界に未来はありません。
そのためにも、釣りを生業とするメーカーや釣具店はもとより、釣り人である私たちが、釣りという活動の社会的地位を上げていく必要があります。
先ほどたばこを例に挙げましたが、たばこがこれだけ肩身が狭くなっても無くならないのはなぜでしょうか?
その理由は、たばこに課せられた税金です。
ここでは具体的な数値を述べるのは控えますが、調べてみれば、けっこうな税収源となっていることが解るかと思います。
釣り人は社会のために何が出来ているでしょうか?
そうです、何も出来ていません。
社会にとって、釣り人は害でしかないのです。
一部、鮎師やトラウト師など、遊漁券という形で漁協などに利益をもたらしているものもありますが、釣りの多くはライセンス不要で、誰しもが参入できるわりに、それに見合うだけの利益が誰にも生じていないのが現状です。
日本において、釣りという活動を社会的に認めてもらうためには、最低でも釣り人が害悪でないものと認知されること、ひいては社会や地域に利益をもたらすものと変革し、認めてもらう必要があるのです。
カナダでは自然環境保護の意識がかなり高く、釣りをするためには自治体への申請が必要な場合が多くあります。
アメリカでは、釣りをするのにライセンス登録が必要だったりします。
そうやって釣りという活動の地位を一定のものとし、その環境を壊さないように、ライセンス保持者は決まりを守ることを常としています。
先にも述べましたが、ねぎ的には自分が釣りをできればそれでいいので、ライセンス制度大歓迎です。
免状を持っていないものが釣りをすれば罰則の対象となり、またライセンスを持っていても決まりを守らなければライセンス剥奪、とか、そのくらいしても良いんじゃないかなとさえ思います。
ライセンス料は国や自治体、漁協や野池の管理団体などに振り分けられ、釣り人が存在することで利益を享受できる人々が生まれます。
釣りに関する規約・規定を策定し、ライセンス発行時に規約・規定についての説明・同意が得られたものとすることで、決まりを守らなかった人に対する罰則の適用がしやすくなります。
釣り人は相互にマナーを順守することが求められ、自律する集団体へと変貌していくのです。
ライセンス制度が成長してくれば、「釣りライセンスを持っている人は1割引き」とかいう釣り場の近くの飲食店などが協賛店として名乗り出てくれるかも知れません。
釣りというアクティビティは、大きな転換期にあるのではないかと勝手に思っています。
このままでは、一律釣り禁止という最悪の事態を招き、釣りが出来なくなる未来しか見えません。
ねぎは釣りが好きです。釣りをしたいです。
子供たちがもう少し大きくなったら釣りを一緒に楽しみたいな、と思っています。
少しでいいので、釣りの未来を考えてみませんか?
釣りの未来を決めれるのは、私たち「釣り人」です。
【平成28年11月15日 ねぎねこ】
※平成29年3月19日一部改訂
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