ねぎねこの「山口県で釣りをするブログ」

山口県中部を中心とした釣行記です。釣り人のマナーアップを図り、釣りに対するイメージアップや釣り場の保護・拡大を目指します。BIOVEXフィールドスタッフ任期中です。

ものの捉え方と考え方

2017/06/29

どうもお久しぶりです。

ちょっとだけ海に行ってきました。

釣り具は持っていきませんでしたが、やっぱり海って落ち着くね、ねぎです。

 

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釣りブログなので、釣りのことを書きたいのですが、釣りに行けないのでいろいろと考えてしまいます。

先に言っておくと概ね釣りとは無関係かと思います。

暇な人だけ読んでみてください。

ストレスフルなオッサンが感じているやりきれない気持ちを投げつける愚痴ブログです。

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連日ぼやいていますが、年度変わりの季節ということもあり、仕事が多忙を極めます。

ねぎの職場では、大まかに幾つかの職種が分業しながら業務が流れていくわけですが、我が部署は細々と配属が変わるのが恒例でありまして、例に漏れず今年度も配置が大幅に変更になる模様です。

人が動くということは、それぞれの間で引き継ぎ業務が生じるので、長い目で見た時の「資質の向上」や「経験値を積む」という面では有効なのかもしれませんが、やはり短絡的には無駄な作業が多量に発生するわけで、ルーティンワークの効率は大きく落ちます。

 

まぁそんなことをぼやきたいわけではありません。

そうなることは例年の常ですので、個人的には概ね想定通りなんです。が、それを見越して動けない輩が多過ぎる。

 

そもそも「仕事をする」という事象に対し、ことに日本人に特に多いのですが、「定刻に仕事をはじめて、定刻に退勤する」といういかにも当たり前のことを当たり前として認識できていないことの不思議であります。

今日も「仕事が終わりません、どうしたらいいのか分かりません」と同僚が言うのですが、個人的な印象としては「その仕事のやり方では終わらないでしょうね」と率直に思うのです。

何かと申しますと、その同僚にとって、「仕事」というものがどういうものか、という基本的な概念が崩れている、もしくは概念がない、ということなんです。

仕事の基本単位を何かしら勘違いしているか、そもそも意識できていないか、ということなんですが、5分で終わるものを5分で終わると認識しておらず、だらだらと人と喋りながら1時間かけてしまう、というのは良く見かける光景です。

これでは仕事は終わりません。

5分で終わる仕事が1時間かかるのですから、30分の仕事をするのに6時間もかかってしまう。

こんな非効率な話はありません。

スキル(技能)に差異こそあれど、概念が異なっていると、同列に話が出来ません。

100の仕事に対し、100のスキルを持つものは遂行可能でしょうが、90のスキルしか持ち合わせていないものには遂行は難しいのです。

が、100のスキルを持っているのに、20しかスキルを発揮せずに「出来ません、終わりません」なんていうのは間違っているのです。

 

そういった意識を持てば、定時までに自分がこなせる作業量というものは必然的に決まってきますので、それを超えてしまう作業については「自分は請け負うことが出来ません、お断りします」ということで万事OKなんです。

だって、そういう契約を職場としているのですから。

かくいうねぎも、定時で帰ることを目標……というか、定時で帰れるように努めることは職場との契約における義務と考えていますので、自分の持ち時間内で終わりそうにない仕事に対してはお断りしますし、定時間際に唐突に仕事を振られることを強く拒否します。

自身が良く使うことばのひとつに、「なるようにしかならない」というものがあるのですが、これを言うときの基本概念は上記の通りです。

自身で遂行できる業務量というのは決まっています。

それを超えるものについては、実質、定時内での遂行は不可能ですので、後日の業務として取り置きが可能であれば後回しにしますし、難しければ他者に事前に振り分けます。

 

それとは別に、仕事に対する考え方とでも言いますか、ものの根本的な思考の仕方、というものに疑問を感じた次第です。

以前も何かのログで書いたことがあるかと記憶しているのですが、人にはそれぞれ社会や他者などから期待された「役割」というものがあります。

人が何かをしようとするときには、「動機(意思)」というものが生じます。

ねぎの仕事は人(生活機能に何かしらの不具合を生じている人々)を対象としていますが、やはり生活上に何かしらの問題を抱えていることが多く、それらは行為として表面化されます。

表面化されたということは、そこに何かしらの「動機」が生じているわけですが、その思いを差し置いて、「○○はこうあるべきだ!」などと手前都合で判断し、語ってしまうのは、実に恐ろしいことであります。

例として挙げますが、「元来右利きであり、箸で食事を摂っていた人」が何かしらの都合により「右手で箸がうまく使えなくなってしまった」ケース。

解決法の一例として、「左手で食べる」、「右手でスプーンを使って食べる」などに始まり、極論を言えば「食べない(胃瘻や点滴など)」という選択もあります。

果たして、どれがその人にとって都合が良いのか、ということを考える必要がありますが、そこには必ずその人の「思い」が反映されているべきだと考えます。

相互に食い違いがある場合には、しっかりと意見のすり合わせを行い、「動機」を一致させて納得が得られなければ、協力的な態度は得られません。

こんな基本的なことですが、どこで抜け落ちてしまったのか、そもそもそんなことを考えたことも無かったのか、実に不愉快なやりとりが現場では行われています。

理想論かもしれませんが、理想や理念をなくして実現など不可能なんです。

理念のない言動など、なんと非道なものなんだと悲観してしまいます。

自分たちが職場から与えられた仕事には、「期待された役割」が必ずあります。

しっかりと考えて仕事をしなければなりません。

 

みなさんの職場にも、いろいろな問題があると思います。

無理矢理話を捻じ曲げて、釣りの話をぶっこみます。

ここ数日の間、都心の河川で釣りが禁止になったり、飲酒していた釣り人が落水して流されたり、船舶の事故であったり、いろいろな情報を耳にしましたが、それぞれの問題は端的なものではなく、いろいろな理由が複雑に関係しながら「事実」を根拠立てています。

問題を考える時には、物事を順序立てて、要素要素に分解しながら考える必要があります。

上記で起こった釣り禁止や事故など、要素はさまざまあるかと思いますが、そのひとつとして、「釣り人」たるが「釣り人としての役割」を演じきれなかった事が起因していないでしょうか?

我々釣り人の在るべき姿、社会から期待される「釣り人の役割」とはいったい何なのでしょうか。

しっかりと立ちとどまり、考えてみる時間を設けてみるのも悪くないですよ。

あぁ。釣りに行きたい( º дº)<キエェェェエエェェェ

 

閲覧ありがとうございました。

【釣り人としての在り方】
こちらも宜しくお願いします。

 

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